日本スクールコーチ協会 関西支部

コーチングで学校の児童・生徒の生き生き(イキイキ)と輝いた目を引き出しましょう。 私たちは、子どもたちを支える先生や保護者の皆さんのサポーターです。

ちょっとしたお話

こんなレベルのロボットで見本を見るんじゃない。テキストにみんな書いている。

 「タブレットを使ったプログラミングでロボットを動かす」が、今年(2017年)の9月からはじまりました。
 生徒たちにとって初めての体験になるので、スタートアップ講座からはじまります。

 はじまりなので、すべての受講する生徒がスタートアップ講座を受講します。

 その場で僕が連呼しているセリフはこれです。

   『こんなレベルのロボットで見本を見るんじゃない。
    テキストにみんな書いている。』


 完成品を見てモチベーションをあげてもうため、
 本当に困っている生徒のために、見本を用意しています。

 でも、それを見て作っていては、力がつきません。

   ・テキストを読む力
   ・テキストから読み取る力
   ・テキストから必要なことを探し出す力
   ・発想力
   ・応用力
   ・仲間同士で協力し合う力
    (わからないことをわからないと言い、
      教え方の練習、
      間違って教えていた時に謝る力)

 逆に、テキストを読まないでいると、

   ・テキストは面倒くさいものという思いを持つ
   ・テキストは、せっかく遊びたいのに設問がある嫌なものという思いを持つ
   ・どうせテキストを読まなくても構わないという思いを持つ
   ・テキストに書いていることを知る機会を逃す
    (自分が気づかないこと、
      見本から気づかないこと、
      友達が気づかないこと、
      先生がわざわざ教えてくれないこと)
   ・自分の頭で考えなくなる

ね。あまりよろしくないでしょ?

整った環境で、ロボット作りを楽しみ、チャレンジする経験を無駄にするのはあまりにもったいない。

今はまだ、「答えがある」世界にいるけれど、
勉強しているのは、「答えがない」世界に一人ひとりの生徒が進むためなんです。

がんばれ!!
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「子供の夢」を聴くのは難しい

大谷由里子さんがこのような記事を書かれていました。
(やすきよのマネージャもされていた、元吉本興業の方です)

子どもの夢をつぶさないで!
https://haretal.jp/watashi/pw2017090401/


詳しくは読んでいただくとして、
一部抜粋すると、たとえば、・・・


> せっかく子どもが夢を語っているのにお母さんがその夢をぶったぎることがよくあるらしい。

> 私の友人の男性。子どもの頃お母さんに「夢は何?」と聞かれた。「宇宙飛行士」と答えたら、「夢みたいなこと言わないで」と言われたらしい。


忙しいとき、テストの点数が芳しくない時、こんなことをいっぱい言ってしまいそうです。

忙しいときにこう言うだけならいいけれど、
いつも忙しそうで、
時間を取ってくれそうもなくて、
時間を取って話を聴いてくれるかと思ったら、小言を言うための前置きだったとか。

よくある話です。

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子供、大人にかかわらず、
「夢を語る」
のは大切です。

夢を語ったら、
  ・具体的になります。
  ・行動がわかります。
  ・行動する気になります。
  ・「自分がやる」という自覚が芽生えます。
  ・夢実現のための能力を自分で切り開いていきます。
  ・その夢の中で本当に実現したいことが何かわかります。
  ・夢を語る敷居が低くなります。
  ・夢が心の底の方から出てきやすくなります。
  ・別の夢が現れます。
  ・語ること、聴くことへの信頼感が高まります。

一方で、周りがやってはいけないこと
  ・夢を聴かない。
  ・夢を値踏みする。
  ・夢の実現可能性を今の能力から判断する。
  ・できていないことを引き合いに出して、できないと言う。
  ・夢実現のために親がお金を出す交換条件に、「勉強しなさい」と言う。
  ・「そんなことより数学の点数が・・・」と言う。
  ・「そんなことよりご飯を食べなさい」と言う。
  ・「そんなことよりお風呂に入りなさい」と言う。
  ・「そんなことより早く寝なさい」と言う。
  ・うまくいっていなさそうなとき、本人の気持ちを聴かずに、周りだけで判断する。
  ・無理やりやめさせる。


夢を語り、実現できていない人は、
自己肯定感が低く、
達成経験が少なく、
他人の夢を自分と同レベルに引きずり降ろそうとします。

そんなことは、自分も経験があるし、周りを見ても経験があることでしょう。

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子供の夢を聴くときのポイントです。

たとえば、「ロボット教室に通いたい」というのは、夢ではありません。
単なる欲求です。
「おもちゃが欲しい」と似たようなものです。

夢は、「その先にあるもの」です。
大きな夢がある子供ならば、
その夢を根掘り葉掘り聞いて、リアルに、具体的にしてあげましょう。

一方、欲求しかない場合でも、
「目の前にあるもので、常に何か作っている」
のであれば、
「いつも何か作り上げているね。ロボット教室に通って、何ができるようになりたい?」
と聴いてあげるのもいいでしょう。

してはいけないのは、
「ある職業になるための勉強」
という言い方です。

ある技術を使える人が増えると、「普通」になり、目の前のことをこなすだけの作業員にしかならなくなります。
それも悪いことではありませんが、
「夢」とは「創造性」を刺激するものです。

「夢」が現実になったとき、「創造的に生きられる」・・・・次の夢が生まれる

のでないと、それは「夢」じゃありません。

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夢を
話す方もトレーニングが必要ですし、
聴く方はもちろんトレーニングが必要です。

「子供の夢」を精一杯聴いてあげてください。

科学はなぜ必要か?

仮面ライダー ビルド

2017年9月からはじまる
「仮面ライダー ビルド」は、物理学をモチーフにした実験をする仮面ライダーらしい。
8月までの
「仮面ライダーエグゼイド」は、コンピューターウィルスと戦っていたとのこと。

こんなところから科学への関心を高められるとしたら嬉しい。

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ところで、

   「科学はなぜ必要か?」

に答えられるだろうか?

  ・生活を豊かにする。
  ・便利にする。
  ・安全にする。

などある。

それもいい考えだが、それらは「技術」。
「科学」はこうだ。

僕はこう思う。

  ・自然の仕組みを理解したいという探求心からで理由はない
   (「疑問を探求したい」という人としての好奇心を肯定して、促すため)

  ・自然に起こることと起こらないことを見極める目を持つため
   (エセ科学や嘘を見抜くため)

だから、とても大事。

小中学校の頃って、

    『科学的考え方のベース』を身につける時期

だから、とても大切。

だから、

   ・科学っておもしろい。
   ・科学は説明できるんだ。
   ・科学は、「わからない」と興味を持ったことからはじまったんだ。

と、納得してもらえたら十分。
たしかに、理科の知識とか、理科の計算法とか、
それらも大切だし、理解するのに苦労するけれど、
もっと大切なものがある。

今ふと気づいたが、
「科学の知見を教えることができる」
「問題を解く技術的なことは、教えることができる」

教えることは、教える技術を工夫することで可能であっても、
科学自体を納得させたり、腑に落ちるようにするのは、とても大変。

という、先生側、教えてほしいと願い社会側の事情だったのかもしれない。

・・・・・・
気づいたらはじめなきゃね。

本を読もう!2

植松努さんが小学生のころ、よく読んでいた本だそうです。


5.21世紀こども百科 もののはじまり館, 2008, 近藤二郎



6.よく飛ぶ紙飛行機集, 1978, 二宮 康明


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植松さんの本を記します。
DVDブックなどたくさん出ていますので、ご希望の方はお探しください。


7.NASAより宇宙に近い町工場, 2009, 植松努



8.思うは招く ~自分たちの力で最高のロケットを作る!, 2015, 植松努



9.好奇心を“天職"に変える空想教室, 2015, 植松努



10.何をやっても続かない自分を変える あきらめない練習, 2017, 植松努

成功と失敗をどういう風に表現するか?







「試行錯誤」を認めるなら、

つまり、
やってみて、間違いが見つかり、
もう1回やってみて、別の間違いが見つかり、
試しでやってみて、うまくいったこととうまくいかなかったことを発見して、・・・・


という手順を認めなきゃいけない。

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その時に、

   「失敗だ〜〜」

というのと、

   「うまくいったところがある」

というのと、どっちがいい?

たいがいの場合、
「失敗だ〜〜」と言ったら、言った人に闇に葬られます。
元からなかったことにされます。
隠されてしまいます。


最初からうまくいくはずがないじゃない。

いくら慎重に、失敗しないように情報を人に聞いて回ったとしても、
失敗するときには失敗する。
というか、必ず失敗する。

ただし、すべてじゃない。

うまくいているところもあれば、具合が悪いところもある。
そういうもの。

だから、きちんと観察して、
うまくいっているところと
うまくいっていないところを
きちんと分析しなきゃ。

「失敗だ〜〜」と言って、やったことさえ隠してしまったら、
永遠にうまくいくはずがない。

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あとね。

僕たちは、空気や抵抗があるところに生きている。
同じ金額で売っているものでも、まったく同じ製品やパーツはない。すこしずつ違っている。

僕たちの、右手、左手の力の強さも違う。

設計図を描いたり、妄想したりしているときにうまくいっているものでも、
実際にはうまくいかないことがある。

ロボットをつくっているときにそうだし、
ロボットのプログラミングを調整しているときもそう。
(もっというと、プログラミングだけでも、プログラミング言語の方言やバグでうまくいかないこともある)

いったんやりはじめてしまったら、
「○○さんが悪い」
「このパーツを売っていたあそこの店が悪い」
と言っても仕方がない。

今ある状況で、最善を尽くさなきゃいけない。

それができない人には成功は来ないし、
「発見」もできないだろう。

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それくらいの心構えでやるもの。

ほかの人がさらにほかの人をつべこべ言っている、このTwitterのようなことで時間を取らず、
自分の評価

   「ここまではうまくいった」
   「この点は改善したほうがいい」

という視点で見たほうがいい。

自分に対してできたら、
ほかの人にも同じようにしてあげたら、仲間が広がるよ。

動画『Alike』



小学校に通う子供とパパとの物語。

「何かを得るためには苦労しなければならない」
「その得られるものは、生きていられるほどの、ほどほどのものである」

というメッセージを小学生にしみこませるのはいけないよな。
それは、そう思った人の価値観。

学ぶというのは、もっと楽しいもの。
日常の小さな目標とつながっているもの。

そうしたいですね。

子供の攻撃性

灰谷孝さんがFacebookに「子供の攻撃性」について書かれていました。

灰谷孝さんのFacebook投稿

攻撃性を否定しちゃいけない、という話はわかる。

「兄弟仲良く」
と言っていた母のことばと、強制された行動のために、
兄弟仲が微妙になった経験があるので、

「見た目で仲が良い」ように見える

のは、何の役にも立たないとよくわかる。

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でも、ロボット教室で生徒を見ていると、
「子供の攻撃性を否定しちゃいけない」
だけじゃない、とも思う。

子供たちって、
興味、
悪意、
何の気なしに
ほかの子供にちょっかいを出します。

ちょっかいを出されたこともは、
痛かったり、
ロボットを壊されたり、
パーツを取られたら、
キック、パンチ、物を投げる、パーツをぶちまけるなどで反撃します。

反撃されていたかったら、
さらに反撃します。

ちょっかい出して、反撃してを「1ラリー」と数えると、
「2ラリー」くらいで止めに入ります。

そして、
「そうやって、自分の方がいたいんだから、これくらいいだろうって、お互いに思うんだ」
「それが大きくなったのが戦争なんだ」
「そのままやっていたら、とんがったものを相手に突き刺したり、お互いに大きなけがをするところまで行くので、やめとけ」
と止めます。
僕は、「仲直り」って、握手させるようなことはさせません。

それでも、その直後にまた同じ子供同士で始めてしまうこともあるのですが。

でも、理解してくれます。

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僕に対しても、
結構本気のキック、パンチをしてきます。

彼らの身体が小さいためか、
小さい点で打撃が加わり、本気で痛いです。

本気でカンチョウもしてきます。

そんなときに僕はどうするか?

「痛い」と伝えます。
そして、パンチだったら、手のひらなど、
ケガしないところを指示して打たせます。

それでも、集団で足を狙ってキックしてくることもあります。

まずは、「痛い」と伝えることです。
「お父さんほど、俺、強くないし」とも付け加えます。

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攻撃を肉体にさせないため、
灰谷さんが書かれているようなお手伝い系の、
薪割り、
鋤を振る、
火を起こす、
鉛筆をナイフで削る、
草むしりをさせる、
荷物を運んでもらう、
料理をしてもらう、
など、とてもいい。

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で、ロボット教室の小学生中学年くらいまでには、
「お願い」と頼まれたことを一緒にするようにしています。

先走ってやってはいけないし、
頼まれてもいかないと、これまたいけない。

ただ、大勢の生徒さんがいるので、つきっきりという訳にもいかないので、
頼まれたことを100%叶えているわけではありません。

けれど、注文を受取ったことの合図を返し、
場合によっては順番を伝え、
ほかの先生の名前を出してパスを出したりしています。
順番を伝えたら、その通りにやらないといけませんが。

そうそう。
ロボット教室では、「対戦」の時間があるので、
攻撃性を解消し、コミュニケーションの仕方を各自学んでいるようです。

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「攻撃的行動」が、『自己主張の一つの形』であれば、
一応満たしてあげられているのかな、と思っています。

そのおかげか、パンチ、キックしてくる生徒も多いし、
相談やお願いをしてくれる生徒も多くて、
信頼してもらえているな、
と僕の自己肯定感を上げています。

子供たちには、
「痛い」とか、暴言に対して「悲しい」とか、自分の感情を伝えること、
コミュニケーションのラリーをすること
かな。
たまに力が有り余っていることがあるようなので、
できたら草むしりなど、家事の手伝いを精一杯してもらいたいものだ、とも思う。

違う意見があってもいいと考えるトレーニング

ロボット教室で、生徒と話しているときに気を付けているのは、このようなことです。


「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。
http://blog.tinect.jp/?p=41857



自分の意見はあっていいし、
好き嫌いは当然あるだろう。
人の行動で、理解できないこともたくさんあるだろう。

でもね。
それは、議論すべき相手ときちんと対話を重ねたらいいこと。
少なくとも教室には、議論すべき相手はいないことがほとんど。

となると、生徒同士で自分の好みを強制するか、
先生が、違う意見の子供たちが自分の意見を言わないように飲み込ませるか、

ということをしちゃいけない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

子供の意見を「口答え」
として、厳しくとがめられたことはあるかもしれない。

でもそれは、親、先生に、根拠がなかったから。
薄っぺらい理由を見透かされた気がして、
怒ることでごまかしていただけ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

学校も、家庭も、塾も、
対話の練習をするには、とてもいい場所だと思うのだ。

練習とは、
何度繰り返すこと、
失敗してもいいことになっていること、
試行錯誤すること。

練習するのは、子供だけじゃなく、
親も、先生も。

こういう時、立場は一緒。
一緒に練習していけばいい。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「ちがう意見=敵」の反対は、

「違う意見のあなたが意見を言う権利を、私は全力で守る」

こんな風に実感して、行動できるようにするには、
対話の経験を積んで、
いろいろな経験をしないといけない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ロボット教室は、
集まっている生徒も先生も目的はだいたい同じなので、
練習の場にいいと思うんだ。

新しく来た先生向けの「心得」に、こんなことも書いてある。

「多少のエッチな話は構わないけれど、
 生徒の意見を頭から否定することや、
 自分の好みを宣言するなど、生徒が発言しにくくすることをしない」
(もちろん、セクハラは問題外)

お互いが、自由に発言できる場をつくりあうことが大切。

日常の場での練習、トレーニングは、繰り返しやらないとね。

「やりたいことをやる」例・・・・大根の新品種

「やりたいことをやる」という例。




「やりたいこと」は、
ほんとうに自分の人生に引き付けて考えたら、できる。

ただしこの場合、
品種改良して新しい品種を作り出すことまではできる。
けれど、社会に受け入れられる品種、市場に出回る品種になるかどうかは
「運」も関係してくる。

夏休みの宿題をがんばれ!

夏休みの宿題が終わりそうにない!ピンチ!!という方とその親御さんへ
https://ameblo.jp/kaju-step/entry-12304567234.html


カジュさんのタイトル通りの記事です。

記事をそのまま読んでいただければ結構です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<若狭の視点の追加>

でももし、

   「自分で求めたものじゃない」

と言うのであれば、

   「自分で自分のミッションを決めなさい。
    先生やお父さん、お母さんと相談してもいいから。
    それも、多少苦労があってもやり遂げたいこと、
    それをしている自分を尊敬できること、です。」

これを自分で決めなさい。
なぜそれを、夏休みのはじめに決めなかったんだ。
勝手に被害者面するんじゃない。

今の年齢で1回しかない夏休みを、
自分のミッションのために過ごせなかったんだ。
残念だったね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そして、伝えたいことはあと3つある。

1.宿題の目的をきこう。
 いまさらだけれど、
 先生やお父さん、お母さんに、
 夏休みの宿題の目的をきいてみよう。

 けっして、君たちに嫌がらせするためじゃない。
 きっと、

   「今の君たちの年齢で、
    身につけておいてほしいことを
    学校の教科書に沿ったものだけで申し訳ないけれど、
    復習するために問題として出したものだ。
    入試があるんだったら、そのためにも必要なことだよ。」

 と、答えてくれるはず。
 最初にきいた人が答えてくれなかったら、いろいろな人にきこう。
 一番宿題をたくさん出した人にきいてみよう。

 そうだ。
 それを自由研究にしてもいいかもね。


2.学校の宿題は、『最低限の内容』。
 そんなものを「最大限」なんて思っちゃいけない。
 最大だと思うから、できない。

 自分がやりたいミッションって、そんなもんじゃないだろう?

 学校の宿題を越えたその先のミッションを自分で決めるんだ。


3.君たちには、「失敗する権利」がある。
 お父さん、お母さんは、

   「失敗させたくない」

 と手伝ってくれているかもしれない。
 けれど、

   君たちには「失敗する権利」がある

 精一杯やって、できなかった時、いろいろなことを学ぶ。

  ・始めたほうがいい時期

  ・取り組み方

  ・最初の時の気持ち、
   途中での気持ち、
   夏休み終わりの時の気持ち
   の変化

  ・自分はそれに対して、どんな関心があるのか?

  ・もし、「興味なし」というんだったら、
   生きるための基礎的な力をつける時期の小学校、中学校で、
   そんなことを考えちゃうような普段の勉強への向き合い方のバカさ加減。

 このようなことは、
 遅くからはじめても精一杯やってみなければ気づかないこと。

 これを『学び』というんだ。

 『学びを得る』・・・・それが「失敗する権利」。

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精一杯がんばれ。
まだ夏休みも、宿題も、君の人生も、終わっていない。
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