日本スクールコーチ協会 関西支部

コーチングで学校の児童・生徒の生き生き(イキイキ)と輝いた目を引き出しましょう。 私たちは、子どもたちを支える先生や保護者の皆さんのサポーターです。

ちょっとしたお話

プログラミングを何の授業で使うか?

(花まる先生 公開授業)プログラミングで慣用句クイズ
千葉・柏市立田中北小学校 西川真吾さん
http://digital.asahi.com/articles/DA3S13171283.html


次の学習指導要領に、プログラミングを導入して、
「論理的思考、プログラミング的思考を育てる」
とされています。

プログラミングを授業で扱ったからって、それを生徒が学び取るとは限りません。

論理的思考は、
僕も今までこんなこと考えてもいませんでしたが、
「すでに、ゲームを遊ぶ中で実際にやっている」
のではないでしょうか。

つまり、ロールプレイングゲームでも、対戦型ゲームでも、
「○○をするには、その前に△△をゲットしておかなければいけない。」
「○○の力を得るためには、△△の力を捨てなければならない」
といった、「順序」「条件」を学んでいます。

そういうルールがある安心感でゲームをしつつ、
「バグを探して無敵化」
をしようともします。

ほんとうにおもしろくて、夢中になれれば、何からでも学べるのです。
ただし、テレビゲームは、ルールの枠内でしか楽しめず、学びも限られたものになります。

ボードゲームは、限りないローカルルールが創り出されていますので、
創造的と言えるかもしれません。

で、子供たちが学校で学ぶことを嫌っているかというと、そうではありません。
媚びを売るようにすり寄らなくても、
知的好奇心から興味をもってやってきてくれます。

大人の役割は、
その興味をきちんと生かしていく、ということです。

大人の都合で設計するのではなく、
子供の目線で設計するのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
出典がわかりませんが、
面白い話があります。
小学2年生くらいのお子さんを連れて、ユニバーサルスタジオジャパンに行ったそうです。
乗り物に乗ったり、店に入って食事したりしたそうです。
つてに楽しそうに走り回っていました。
帰り道、何が面白かったか聞いたら、
「ベンチ」
という答えだったそうです。
たしかに、休憩時間にベンチに座ったときも楽しそうに駆け回っていたそうですが、連れて行ったお父さん、お母さんはそれを聞いてぐったりしたそうな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

機材の発達は素晴らしいものだけれど、
それが必ずしも子供たちの興味を惹くものではなくて、
昔ながらのものの方が楽しんでくれることもある、と。
それは学びにもつながっていきます。

ここに書いていることは、
リンク先の記事を否定しているのではなくて、
むしろ「慣用句づくり」って昔ながらのアイディアでしょ。
それをパソコンを使えば、さらに発展させられる。
それをできるのは先生の力なんだなあ、と賛同と応援の気持ちから書いているのです。

問題があるとしたら、リンク先の記事にもあるように、
パソコンなどの機材にお金がかなりかかることですね。
授業の人数分必要だし、
故障もあれば、アップデートの費用もかかる。
世の中のOSとCPUが進化して、3年も経ったらパソコンの動きが悪くなることも怒るし、
故障時のパーツが売っていなくて買えなくなることもあると。
最初に買ってセットしたら終わりといかないのが、パソコンの困ったところです。

「ちがいを大切にする」に気づく授業

(花まる先生 公開授業)ちがい、大切にしてる?
大阪市立新高小学校 金大竜(キムテリョン)さん(37歳)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S13074412.html


「違いを大切にする」

わかっていながらも、なかなかできません。

「できる」
という人は、ほんとうのところはできていません。

すぐに受け入れられる「違い」は、何も問題ありません。
たとえばきょうだい。
年齢の違い、
学年の違い、
生まれてきた違い、
身体の大きさの違い、
考えることの違い
があって、ケンカすることがあるかもしれないけれど、受け入れています。
きょうだいが、男の子、女の子であっても同じです。

結局受け入れることができています。

けれど、自分の想像が届かない人だったらどうでしょうか?
外国の人、
外国の人の中でも東アジアの人、
日本語を話していてもイントネーションが違う人、
犯罪を犯した人、
犯罪を犯して刑務所から出てきた人、
街中で人に絡んでばかりいる人。

受け入れるって、「いてもいいから、無視する」じゃないよ。
「その人が困ったことをしていても、見逃す」でもないよ。

その人ときちんとむきあって話をする、ということだから。

そのために、自分がどんなことを考える人で、
その時に、どんなに怖くても「これだけは」と頼りにする、自分の考え方を見つけておくのは悪くないことです。

経験を重ねたら、どんどん変えていっていいことだし。

というのが、「ちがいを大切にする」ということ。

子供たちに、体験から学ばせてあげたいですね。

人類が米作りをはじめたとして、どんなよいこと・悪いことが起こるだろうか

(花まる先生 公開授業)歴史、白黒つけられる?
東京・筑波大付属小学校 由井薗健(ゆいぞのけん)さん(45歳)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12936451.html


僕は、現代のことでも過去のことでも、事実が書かれていて、
それをどのように読み取り、
自分はどのような意見を持つか
を問われる問題が好きでした。

けれど最近、ロボット教室の生徒と話していると、

時事問題、
意見を述べる問題が
苦手だとのこと。

これは、すべての教科にわたる力のように思う。

もちろん、問題を解く能力や、問題を速く解く能力などの
「テストの回答マシーン」
としての能力は、コツさえつかめれば簡単に鍛えられます。
受験などの試験を通るには、そのような力は必要です。

日常生活でも、仕事でも、
計算を速くする能力や、
球の体積の求め方・公式などを覚えていると、何かと便利です。

けれど、時事問題など、自分の意見を述べるときの考え方を聴いていると、
かなり薄っぺらに感じるときがあります。
テレビで誰かが言っていたことを言っているだけだったり、
クラスの多数の意見をそれらしく言っているだけだったり、
ネット上でよくあるのが、反射神経的にラベル貼りした言葉で即座に定型文で答えたり。

一つの正解があって、
それに合わしているだけのように思います。

いろいろな考え方の人がいるんだから、認めなきゃ。
それより、自分でしっかり考えたら、
ほかの人の意見と違うことなんていくらでもあるから、
それを引き受けなきゃ。

こだわるばかりじゃなく、
意見を変えることを恐れていちゃいけないし、
他人にどれだけ言われても、自分が考えた意見という事実は変えられない、と知っておきたいことだし。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ある一つのことに、うれしい側面と、うれしくない側面があることも、知っていないとね。

米を作るようになると、
食料は安定する。
一方で、定住しなくてはいけなくなるし、
自然災害で米がとれなったらどうするか、
食料が安定して、家族が増えたら、もっと食料がいるようになるし、
家族以外の人とのコミュニケーションが増えるが、それがいいことか、とか。

目の前の事実に対して、
条件や考えなきゃならないことは無数にあるし、
それによって、近い未来、少し遠い未来、遠い未来がどうなるか、
途中経過は一つの道だけという訳じゃないし、
一歩横にずれていただけで人生が変わることもある。

ということを感じられる授業は必要ですね。

勉強しているとき、文章を読むだけでは訳がわからない時

勉強法の一つの提案。




ポイントは2つ。

●勉強で、わかろうと思った時に、これは役立つ。
 テストの時も、問題文を読むよりも、図や絵をよく観たり、描いてみた方がいい。
 (絵をかくのに一所懸命になりすぎないように!!)

「まずは、文字ではなく図版など画像をよく観ること。
画像をよく観てから文字を読んだ方が理解もできるし記憶しやすい。
この勉強法は頭が良い、悪いは関係ない。」



●友達の勉強法には、自分にぴったりのものがあるかもしれない。
 (合わなかったら、別のを探したらいい)

秀才の友達から勉強法を聞いてきた。

討論の授業

(花まる先生 公開授業)さあ討論、パッと反論
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12644898.html


朝日新聞の連載です。
掲載から1年経つと消えてしまうので、記事を読みたい方はお早めに。

先生は、東京・東京学芸大付属世田谷小学校 沼田晶弘さん(41歳)

小学校で、ディベートの実戦授業をしている先生です。

先生はともかく、生徒たちの体験の方が大事です。

ディベートで大事なのは、相手に勝つことかもしれないけれど、
もっと大事なのは、

・自分の頭で考えること
・自分の口から発言すること
・考え抜くこと
・突飛なとんでもない意見をすぐに捨てないこと
・相手の意見を種に、自分の意見を育てること
・相手を尊重すること(大切な議論仲間と思うこと)
・いろいろなタイプの語り方をする人がいる。相手の得意な語り方を尊重すること。

だって、何のために議論するか、というと本当のところは、

『自分たちの課題を創造的に解決して実行に移すこと』

けっして、議論のための議論をすることではありません。

これを生徒一人ひとりのことばで理解してほしいなあ。
どれだけ家族や、地域社会で
「そんな甘っちょろいこと考えていちゃだめだ」
「私の言うとおりにやればいいんだ」
とつぶされ続けていても、
議論の仲間がいれば、柔らかく生き抜いていける。

「問題文が理解できない子供が増えている」というけれど、どんな利点があったのだろうか

読解力が危ない(1)〜問題文が理解できない
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/ichiran/20170211-OYT8T50000.html?from=ysns_ycont


問題文の意味を理解できない子供たちが増えているという。
それへの対処法もいろいろ試みられているという。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

でも、その論法は何か変。

「問題文を理解する」=「読解力がある」

としたら、
読解力がなくても生きていける社会になってきた、ということじゃないだろうか?

小学校高学年以上になると、勉強する人、先生の意図を理解する人、自分たちと違う発想の人を揶揄してバカにして、やらないように仕向けることをするようになる。
でも、それ以下だと、結構「他者尊重」だし、「ポジティブ」なんだよな。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

だから、そんな低学年以下の時に、
「相手の意図を理解しようとしない方が得策」という経験をしたり、
「相手の意図を理解するトレーニング」をさせてもらえなかったのか、
「相手の意図を理解できなかったことでの大変だったこと」を経験できなかったのか、
などと思うが、社会全体としてそうだとしたら、何かわかりやすいけれど見落としている原因があるのじゃないだろうか?

授業をうまく組み立てている学校の例を知ると、
「読解力」もそうだし、「相手の意図を理解する」って、
子供たちって嫌いじゃないと思うんだ。

アリ地獄の器と同じで、一時的にトレーニングできても、
根本原因をしっかり見つめないと元に戻ってしまうと思うんだがなあ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

何か当たり前すぎて、見落としているのだろう。

Web「女子高生が開発した「負のSNSスパイラル」から抜ける勉強アプリの話」

女子高生が開発した「負のSNSスパイラル」から抜ける勉強アプリの話と、広告収益120万円の「zipアプリ」開発者が語る、チャットサポート3つのメリット
http://appmarketinglabo.net/stuguin-zipapp/


やる気があれば何でもできる。

「高校生になってスマホを買ってもらったら、勉強に集中できなくなってしまった」
(リンク先から引用)

という自分のニーズからはじめたそうです。

まずはお読みください。

小中高校時代にも「自分で切り開く体験」をしよう

僕はロボット教室の運営をしているのですが、
生徒たちと話していると、どうしても 『塾』 のことを無視することはできません。

どこかモヤモヤしたものを感じていました。

「これかも」
と思う記事があったので紹介します。


名門校「武蔵」が守り切る「変わらない勇気」
塾歴社会「最後の楽園」の驚くべき実態
http://toyokeizai.net/articles/-/188426


〜〜〜〜〜〜〜〜〜
受験勉強とはもともと、個々の受験生が自ら作戦を立て、自らを奮い起こして取り組むべきものであった。特に大学受験は、入試当日に至るまでのプロセスの踏み方を含めて、総合的人間力を試すものだった。

だが、ルールは変わった。

作戦立案は、塾のカリキュラムによって不要になった。自らに打ち勝つ意志力の代わりに、度重なる塾のテストが受験生を勉強へとかき立ててくれるようになった。より効率のよい戦い方が模索されるうちに、本来受験生自身に求められていた能力の大部分を塾が肩代わりするようになったのである。

"結果にコミットする"スポーツジムに似ている。トレーナーが完璧なメニューを用意して、それをやり切るまで追い込んでくれるシステム。トレーナーの指示にいちいち自分の考えなど差し込まなくていい。ただ従順に言われたとおりにやっていれば、筋肉がついたり、減量できたりする。

その結果、受験生に求められるものとして、大量の課題をこなす処理能力と忍耐力だけが残った。余計なものとしては、与えられたものに対して疑いを抱かない力が求められるようになった。

(リンク先より引用)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

塾は、経験値を積み重ねてシスティマチックに、

合理的に、効率的な
「受験勉強の戦い方」を提供してくれる。

「言われたとおりにやればよい」

「大量の課題をこなす処理能力と忍耐力、
 疑いを抱かない力が求められる」

と分析されている。

−−−−−−−−−−−−−−−

現状がどうかは、残念ながら断定できるほどの情報を持っているわけではない。
が、モヤモヤした感じを言い表しているようにも思えました。

「勉強」

って、本来は自分の目標に向かう中で、
自分で計画し、自分の力を測って、
やり方も含めて試行錯誤するもの。
「だって、やりたいことだから」

が本来の姿だと思うのですが、
試行錯誤や
挫折
が、大切な人生経験になる、

というか、それが「勉強」というものだと思っているからです。

それじゃ、「生きる力」が身につかないよね。

自分が別の新しい課題に出会った時、
誰も「完ぺきなメニュー」なんて作ってくれません。

『大量の課題をこなす処理能力と忍耐力、疑いを抱かない力』

だけの人を仲間にしたいと思いません。

−−−−−−−−−−−−−−−

まあ、あるものは使わせてもらえればいいけれど、

小中高校時代にも、
「自分で切り開く体験」

をぜひしてください。

今までしていなかったとしても、
これからはじめればOK。

勉強するってこういうこと・・・アリの研究を例にして

大学・・・・だけじゃないけれど、研究することの面白さを紹介しよう。
「勉強する」って、すでにわかっていることを学ばされる・覚えさせられることではないのです。

たとえば、『アリ』も研究対象です。
分類学、動物学などとして研究している人もいます。
動物行動学を研究している人からは、こんな研究結果が発表されています。



働きアリの約40%はまったく働いていないが、それにはこんな理由があった(米研究)
  http://karapaia.com/archives/52245905.html



「なまけアリ」の存在の重要性が確認される。「はたらきアリ」だけだと集団破滅
  http://karapaia.com/archives/51544290.html



働かないアリの方が働きアリより長生きする。それでも働きアリは過労死するまで働き続ける。(琉球大学研究)
  http://karapaia.com/archives/52140540.html



働くアリだけのグループにしても働かない個体が現れることが証明される(北大研究)
  http://karapaia.com/archives/52114073.html



「結局、どっちやねん!!」

率直な感想かもしれません。
でも、おもしろそうでしょ?
加わってみたいと思うでしょ?
一番正しくて、勝てるところはどこか、って考えるかなあ。

「勉強する」

って、こういうことです。

「覚えなきゃ」
「習わなきゃ」

と思うから、

「正しい結論、一つの結論を欲しがる」

のです。

「勉強する(研究する)」

というのは、

「こんなんじゃないかな?」と仮説を立て、
「お、やっぱりこうなった」と仮説の正しさに安心することや
「え、なんでこうなるの?」と仮説との違いに戸惑うことなんです。

それに立ち向かうのを、「勉強する」といいます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

小中高校生には、もう少し書いておいた方がいいかな。

1.その「勉強する場」に行くために勉強する。
これは、「受験勉強」といわれるものと、
「教養を身につける」という、勉強するために最低限身につけておいた方がよいことを勉強すること。
「受験勉強」は、みんなよくわかっているだろうから省く。
入学した後でも勉強をできる能力があるかどうかを判定する試験のこと。
だから、わかっているだろうけれど、
「受験して合格する」のはゴールじゃなくて、スタートなんだ。

そして、
「教養」はたとえば、「数学を勉強したい」と思っても、
表現力やほかの人が書いた本を読み取る力が必要。
何語で書かれているかわからないので、日本語、英語だけじゃない、語学力も必要かも。
ディスカッションや対話で、理解が深まったり、発想が広がったりするので、コミュニケーション法も学んでいたほうがいい。
歴史的背景、地理的背景を知るとより深く理解できることもある。
応用する、物理、化学、地学なども視界に入っていたら、
「使う」というモチベーションが上がるかもしれない。
花を見て、数学の解法を思いつくかもしれないから、幅広いことに取り組んだ経験が必要。
これらが、「教養」だ。


2.「勉強する場」は、大学などの学校だけとは限らない。
「勉強したいこと」があったら、いつ始めてもいい。
大人が働いていても、お父さん、お母さんの年齢になっても、勉強を始めていい。
もちろん、おじいさん、おばあさんの年齢になっても。

だから、小中高校の君たちの、今の年齢からはじめても、何の問題もない。

「知りたい」
「身につけたい」

と思うことはないかな?
部活で、

「記録を伸ばしたい」
「もっと素晴らしい演奏をしたい」

でもいい。
他人から与えられた目標じゃなく、
自分で突き進んでしまう、
やめろと言われても、
気づいたらやっているようなこと。

それは、大学に入らなくても、
今いる学校でも、
今いるサークルや部活でも、
今いる地元のグループでも、
たった一人でも、
いつ、どこで、はじめてもいい。

はじめてみて困ったら、
調べたり、人にきいたりすればいい。
これも「勉強する」というね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

以上の2つがある。
1.その「勉強する場」に行くために勉強する。
2.「勉強する場」は、大学などの学校だけとは限らない。

最初に挙げた例のように、
「勉強する」
って実はとても面白いことなんだ。

正しいことはおそらく一つなんだろうけれど、
一所懸命に勉強しても、人によって結果が違うことがある。

アリの例でいえば、
種類の違い、かもしれないし、
地域の違い、かもしれないし、
遺伝子の違い、かもしれないし、
観察の間違い、かもしれないし、
分析の間違い、かもしれない。
もしかすると、時期の違い、かもしれない。生物って進化するものだし。

それを探求して、「正しいこと」を見つけようとすることが「勉強」。


ね、「勉強する」っておもしろいでしょ?

それでも「大変そう!」????

いやいや、そう思う君も常に「勉強」してるよ。
テレビを見たり、ゲームをしたり、道草を食ったり、友達と遊んだり、
「興味あること」をしてるでしょ?

その調子で、もっと「勉強」しましょう。

一つ言っておきたいな。
ゲームやテレビは、興味を惹き続けるように作られているので、
いつまでも終わらせられないので、惰性で時間を使いがち。
「他人が作った枠組み」
で遊ばされているかどうか、気づいていたほうがいいよ。

生徒自身が周辺住民とのトラブルを解決する仕組みをつくった

SPA!に、こんな記事がありました。

高校生が日本初の「騒音トラブル解決モデル」を発足。周辺住民からの苦情も激減
https://nikkan-spa.jp/1393643


なんでも、学校は何かと音が出ます。
部活だと、応援団の練習や吹奏楽部は大きな音を出すのが練習です。
体育祭だとピストルの音や声援があります。
それに対して苦情が来ることがあると。
できるだけ音が出ないように工夫していたが、
考えてみたら、地元の人と話をしたことがないじゃないか、
と気づいたところから話がはじまったようです。

地元の人から意見を聴く会を開催したら、
集まった人で決議できる場をつくろうとなったとのこと。

その名は『鼎談深志』(「深志」は、長野県松本深志高校だから)

(こんなサイトもありました。
 鼎談深志 (ていだんふかし)
 http://www.nagano-c.ed.jp/fukasi/teidan/teidanfukashi.htm


〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 普段、小中学生の生徒や子供自身、
 もしくは、それくらいの子供を持つ保護者の方や先生に向けた情報を提供しています。

 今回は高校の話ですが、
 高校生がこれくらい自律的に社会とかかわりあっていく経験はとても貴重なことだと思ったので紹介しました。

 何でもかんでも地域に出ていけばよい、というものでもありませんが、
 好きで選んだ学校生活、部活なのに、
 昔はまるで考えたこともなかった対処をしていたり、
 我慢をしていたり、
 といったことがあります。

 苦情があるので対処していても、アピールするものでもないので、
 地域の人はあまり知らないことになります。

 「言ってくれたら、そんなこと気にしないで、と言ってあげられたのに」

 というたぐいのことも多くあります。

 苦情に対して誠心誠意話を聴くのは当然としても、
 そのことばのまま実行すればよいものではありません。

 苦情を言ってきた人を疑うとか、否定するものではないけれど、
 今回だったら地元の人の代表者と話して、
 状況を知り、解決策を一緒に考える姿勢は大切だと思うのです。

 「言われたまま行動する」
     ↓
 「関係者とともに、自分の頭で考え、決める」

 自立した行動の経験は、将来になってからのリソースとして生かされるのです。

 これは、小学生でも中学生でも一緒で、
 親や先生が実践して見本を見せ続けることからですね。
過去の記事
JSCAのWebサイト
日本スクールコーチ協会本部